全人的な健康

教会は心の健康をどう考えるべきか?

私たちの精神状態は身体や霊(スピリット)とつながっており、調子を崩すこともあります。今号の「視点」では、世界のアナバプテスト系教会の指導者や健康問題に取り組む人々に、教会が人々の心の健康のために果たす役割について、考えを述べてもらいました。

全人的な健康

信仰者の中には、感情や心理にかかわる問題を、信仰がないせいだと考える人が多くいます。そうではありません。確かに、イエスを信じる信仰は、ちょうど私たちの生活のあらゆる部面と同様、感情的な部面をも改善してくれます。他方、私がかかわりをもった人たちの中には、驚くほど深くて強い信仰をもちながら、なお深刻な感情障害に苦しむ人が多くいるのです。

心の問題が起きたときの対処法を知るのは難しいですが、単に信仰がないせいだと考えることは、かえって問題を大きくする可能性があります。

聖書における人間観

感情の問題を理解するには、人間について理解しなければなりません。聖書全体を通してわかるのは、人間が一致したものとして捉えられていることです。

創世記2章の創造物語では、神はアダムを土の塵(物質的要素)で形づくり、神自身の命の息ないし霊(霊的要素)を吹き入れました。アダムは(生き物に名前をつけたように)考え、(女が創られたとき喜んだように)感情をもつものとなりました。また、人は他者との関係をもつものとして、なにより神との関係をもつものとして創られたのです。

アダムは、心と身体と霊とが結び合わされた、まったき人として描かれています。この結びつきが意味するのは、ちょうど慢性痛などの身体の問題が霊的成長を(必ずではなくても)妨げる可能性があるように、うつなどの心の問題が霊的成長を(必ずではなくても)妨げる可能性があるということです。それはまた、霊的成長が身体や心の成長を助ける可能性があることをも意味しています。

列王記上19章のエリヤの物語は、このことを見事に描いています。

うつに苦しむエリヤ

列王記上19章は、憔悴したエリヤから始まります。カルメル山での勝利に心を躍らせたあと、彼はごくふつうの気分の落ち込みを経験します。彼はまた、アハブ王の車の前をイズレエルまで走って帰り、身体も疲れていました。それに加えて、彼は信仰の英雄とたたえられるどころか、王妃イゼベルによる殺害命令が下っていることを知るのです。

聖書に描かれるエリヤの様子は、「大うつ病性障害」とよばれる精神障害の症状を示しています。彼は不安や悲しみを感じ、他の人たちとかかわることから退いています。希望をもてず、死にたいと思っています。思考も混乱しています。神に従っているのは自分しかいないという不正確な思い込みは、思考障害のせいかもしれません。抑うつは彼の信仰にも影響し、神が自分を守ってくれることを信用できなくなっているのがわかります。

エリヤは自分の唯一の望みが神であることを知っています。だから荒れ野に入って神を探し求めるのです。エリヤが裏切られ、落ち込み、信仰が弱っても、神は恵みと愛をもって応えます。

ここで大事なのは、エリヤに対する神の応答が全人的なものであるということです。神はエリヤの身体、精神、認知、関係、霊性のあらゆる側面にケアをします。神はエリヤにいきなり話しかけたりはしません。エリヤに何が必要かご存知だから、霊的・精神的なケアの前に、まず身体のケアをするのです。み使いを送り、食べ物を与え、睡眠を取らせます。それから神の山ホレブまで歩くよう導きます。休息し、栄養を取り、元気を取り戻したエリヤがホレブに着いてはじめて、神はやっと彼に語りかけるのです。

ついにエリヤに語りかけた神は、エリヤの行動や考えの中にうつを悪化させたものがあることを明らかにします。孤立したエリヤに対し、他の忠実な信仰者(エリシャとイエフ)とともに歩むよう命じ、主に仕える者はもう自分しかいないという不正確な思い込みに対し、「しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。彼らはみな、バアルに膝をかがめず、これに口づけしなかった者たちである」と言われます。そこに確かにいることで、神はエリヤの信仰を修復したのです。

私たちにできることは

私たちが直面する、うつ、不安発作、摂食障害や夫婦のトラブルなど、感情や人間関係の問題への手助けとして、何ができるでしょうか。キリスト教徒が実際にできることはたくさんあります。

  • 祈ること。イエスは主であり、すべての癒しの源です。
  • 聖書を読むこと。多くの問題について多くのことを教えられます。
  • 友人の支えや励ましを求めること。
  • 牧師、長老、ベテランの信徒に助言を求めること。
  • 確かな情報が得られるよい本を読むこと。
  •  癒しと成長をもたらすカウンセリングを神が用いられることもあります。

必要とされているのに、神が目的を達成しようと差し出されたあらゆる方法を用いようとしないのは、よい管理者の働き(スチュワードシップ)とはいえません。

心や人間関係の問題はすべて、神を信じて従おうとしないことの結果であると決めつけるのは間違いです。これらの問題に対処するため、神がどう助けるべきかを私たちが決めるのもまた間違いです。私の恩師はかつてこう言いました。「イエスは、この世の人たちが直面する問題に私たちが直面しないよう守ってはくれない。そういう問題に直面したとき対処できるよう私たちを助けることこそ、イエスのなさることだ。」

デーヴィッド・ブルース・ローズはメノナイト・ブレザレンに属するフレズノ・パシフィック聖書神学校の結婚・家族学教授。『MBヘラルド』誌より改訂し再掲。

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