み言葉に変えられる

メノナイト世界会議は、「リニューアル2027」と題する10年がかりの催しを世界各地で行い、私たちの信仰共同体の500周年を記念することになりました。この10年のプログラムを通して、私たちの歴史に見られる地球的・超教派的・脱文化的な視点に注目していきたいと思います。

この催しでは、未来を展望するために過去を振り返ります。コロンビア出身のノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスがいうとおり、「人生で大切なのは何が起きるかではなく、何を記憶するか、それをどう記憶するか」なのです。私たちのルーツに正面から向き合い、私たちが受け継いだ信仰の遺産を神に感謝したいものです。同時に、悔い改めと刷新の気持ちで主に近づき、過去に学んで、現在から将来にわたる

神との関係を成長させていきたいと思います。

リニューアル2027の第1弾「み言葉に変えられる:アナバプテストの視点で聖書を読む」では、マルチン・ルターの「聖書のみ」が、「キリストにならいて」という修道的理想と相まって、私たちの伝統にどんな役割を果たしてきたか、そして聖書が私たちのグローバルな信仰共同体にとって、こんにちどのような意味をもっているか、探求しました。

アウグスブルク(ドイツ)での催しの間、私はアムステルダムのメノナイト教会で見たアート作品を思い起こしていました(今号の表紙写真)。会堂の中央の説教壇では開かれた聖書が動いていて、聖書のページが飛び出したり戻ったりしながら会堂の中をひらひら飛びかっていました。

このアート作品は、聖書が生きた文書であり、聖霊の働きを通して私たち自身の歴史をもそのページに取り込むものであることを表しています。使徒言行録にある最初の弟子たちの物語も、そうやって伝えられてきました。アナバプティズムが強調する「キリストにならう」ことで、聖書は私たちが

生きる上での脚本となり、私たちはそれを実際に演じ、日常的に実行するよう招かれるのです。

とはいえ、アナバプティズムの歴史において、聖書はいつもそのように捉えられてきたわけではありません。

たいていの場合、私たちは聖書の文言を用いて、他の人々が教義的に正しいかどうかを判定し、その結果、キリストのからだの内側に分裂や分散化を引き起こしています。聖書についての見方が折り合わないことが表面化するたび、しょっちゅうすぎるくらい教会は分裂を繰り返してきました。

多様性の只中に与えられる一致の賜物を生き方として実践するようにという聖書の招きを、私たちは脇へ置きすぎてきました。多様性にもかかわらず、いや多様性を通して与えられる交わりの賜物を無視してきました。悲しむべきことに、道徳的・教義的に異なっていることを、キリストのからだを分裂させるに足る理由であると信じるようになってしまったのです。

こんにち私たちは、共同体とキリストを中心として聖書を解釈し、また実践することを重んじる伝統を神に感謝する一方で、聖書の読みが不十分なため引き起こされた分裂について悔い改め続けなければなりません。反省の気持ちが私たちを新たにしてくれるよう、自分の罪と、それによって損なわれた教会の一致を認めることができるよう、求めていきましょう。

現代に語りかける生きた文書をとおして、私たちの聖書理解が新たにされますように、私たちの間にある分裂を、取り除かれるべき罪と捉えられますように、そして、現代に聖書を適用・実践しようという思いが私たちを一つにして、相互依存の精神を共有できますように。

私たちが、み言葉によって変えられますように。

César García, MWC general secretary, works out of the head office in Bogotá, Colombia.

This article first appeared in Courier/Correo/Courrier October 2017

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